世代における平等な国家運営,投票のあり方について考えてみる.
はじめに
皆さんは次のような疑問・怒りを持ったことはないだろうか?
- なぜ,現在の日本はコロナのワクチン接種をはじめ,これほどまでに高齢者を優遇するようになったのか.
- 未来の世代が背負うことになる借金を増やし続けているくせに,経済成長率等何の成果も出さない無能な政治家たちが蔓延るのだろうか.
- 国会中継で見ていれば,こいつなんで寝ているんだよ.仕事しろ!
特に無能な政治家を選ぶのは無能な有権者などと,したり顔でのたまう学者もいる.しかし,これは一見適当なようであり,適切ではない.
なぜなら,選ばれている政党,政治家が必ずしも各世代から強く支持されているとは限らず,また今のインターネットによる情報検索が容易になっているご時世に,この人知っているからなどといったくだらない理由のもとに,マニュフェストも知らずに投票する比較的若い世代は比較的少なくなってきている(はず)だから.
本稿では,どうして無能な政治家が選ばれるの.また,どうすれば世代ごとに平等に投票が反映されるのか.最後に政治家を必死にさせるにはという三本について述べる.
無能な政治家が選ばれる理由
さて,この記事を見られている方は無能な政治家について辟易しているものと推測する.なぜ,彼らは無能に見えるか.それは私を含め,若い世代に合致しない政策を展開し,私たち以下の若い世代に将来にわたり苦労させる負の遺産を増大させているからである.国債云々で借金は返さず借り続ければよいなどといったアホもいるがいるが,信じるかは個人の自由なのでここでは扱わない.
私たちにとって無能な政治家はどの世代にとっても無能なのだろうか?答えはNoである.ゆえに彼らは選出され,ぬくぬくと生活し,このころ中でも甘い汁をすすっている.興味がある人は国会議員などの給料やボーナスなどをご覧ください。彼らがなぜ必死になって有効な対策などを考えないかわかります.なぜなら,民間で働く我々のように生活にダメージがないから.
では我々にとって無能な政治家が選出される原因になっている層とはどこか.それは無能な政治家による政策で得する人々である.これについてはご想像にお任せする.
世代ごとの平等な投票
なぜ,世代ごとの平等を上げたかというと,人数としては確かに高齢者の数は多い.しかし,実際に納税し国を支えているのはどの世代か.それは紛れもなく現役世代であり,将来支えるのはさらに若い世代である.日本の人口において高齢者の割合が多いからといってその意見が強いことはよくない.なぜなら,高齢者を含め,人間はだれでも自分が一番大事な(親や子など例外もある.)ものだからである.結果,高齢者は自分可愛さに将来の世代などのことを考えず,借金を増やし,年金を維持し,五輪を楽しみ,ワクチンは我先にと接種し,したり顔で「若い世代はワクチンも打たず何してんだ.さっさと打てよ.このバイ菌が.」などとのたまうのである.
少し悪意をもって書いたが,要するに高齢者の世代,若い世代,未来の世代などの意見が均等に反映されていないのが現状である.高齢者のことを少し悪く書いたが(筆者の関係者が言われた発言を取り上げただけだが.),現役世代だって数が多ければ,自分にとって都合がよい政党や政治家に投票するだろう.
じゃあ,どうすれば各世代の意見が均等に反映されるのだろうか.答えは簡単である.投票権の重さを世代によって変えればよいのである.それは,人口比率の多い世代の1票を軽くして,少ない世代を重くするというものである.そうすると,今のような高齢者優遇一辺倒の政策から,各世代の意見が比較的反映されるようになる.
こういうことをいうと,年長者は知恵がありなどというであろう.しかし,本当に今の年長者の知恵や経験は約に立っているだろうか.社会の進展は早く,過去の経験を役立てることは難しい.何より,この停滞した日本社会を作り出した高齢者に知恵などあるのかというのは甚だ疑問である.
政治家をやる気にさせる方法
これは皆さんも経験あるように査定が有効ではないか.ただただ一律で給料がもらえるのと業務態度や成果などにより給料などに影響がある場合やクビがかかっているときは気持ちが違うと思う.(上司によっては無意味だが.)
こういうのはどうである.政治家一人一人に国民が均等に分担され,政治家が自己申告した成果報告とAIで分析した勤務態度などをもとに評価し,ボーナスや給料の増減を行うというのは.
ただ,常に政治家の査定をするのは厳しい.そのため,持ち回り制,すなわち裁判員制度のような形で評価していくとよいのではないかと考える.
政治家も自身が査定される立場になると,選挙の前だけではなく,普段の政治活動にも真剣に活動するのではないかと考えている.(本当はそんなの無くても,真剣に取り組んでほしいところであるが.)
コロナ患者急増,その原因は?
なんとなく思ったことを思ったままに
オリンピックも終わり,お盆休みを挟み,次はパラリンピックへというこの時期.
オリンピック開始頃から感染者が急増し,今はほぼ横ばい.
そんななか,大規模接種の予約サイトは時間通りに開かないは,50分くらい待たせたうえで,予約がいっぱいになりましただ.ふざけているのかというレベル.
今までさんざん不具合があった上に,今度は時間通りにサイトを開くことすらできない.そんな程度のものしか用意できない防衛省に国をまともに守れるのかと疑問に思うところではあるが,まあ,今回の話とはそれるので,また今度.
なんで,市中感染が爆発的に増加したかを考えると,オリンピックも原因には間違いなくあるであろうのは確かだが.それ以外にも要因があるのではないかという気はしている.
オリンピックが原因ではないという人もいるが,オリンピックを開くというだけで運営にかかわる人の移動など本来発生しなかった人の流れも起きるし,近くまで見に行こうという人も当然出てくる.それでも無関係と思っているのかと問いたい.すべての原因ではないにしても,原因の一因ではあろう.
次に考えている原因は,人の慣れの意識もあっただろうし,軽症などの認識が医療側とあったころもあるだろうと思っているが,これよりも大きいのは,コロナに感染しているような気はしているまたはコロナに感染が判明した結果,ほかの人にも移してやろうという輩が多いのではないかと思っている.
これについては特に示せるデータも何もないのであくまで推測であるが,先月までの出社時に感じていたことである.明らかに何度も咳をする人がいて,そのような人に限ってマスクをしていなかったり,酒の匂いを漂わせていた.
この人たちの心境を考えてみると,コロナに関するワクチン接種が終わっているケースとそうでないケースが考えられるが,若手の人が率的にも高いので,終わってはいないだろう.(ジジババ優先でやってきているので.)
そうなると,誰のせいでワクチン接種が回ってこなくて,感染又は感染の疑いがあるときどうしようと考えるか.中症以上で入院レベルならいざ知らず,ある程度動くことはできるのであれば,周りにもどんどん撒いて,みんなで不幸になれとなるのではないだろうか.勿論,そんなことをしない人間の方が多いであろうことはわかっているが,なんで俺だけという人たちが一定数おり,考えられない行動をとる人たちがいるのも事実である.(例えば,あおり運転が良い例であり,なんでそんなことでといった感じで理解しがたい.またストーカなども同じで理解できない理由がきっかけ.)
そう考えると,やっぱり外にでて,不特定多数の人と接触する機会はやっぱり減らすべきだよなとつくづく思う.買い物も極力減らし,自分の身は自分で守っていこう.
借金大国日本
この記事について
この記事では,借金大国である日本の未来について考えていきます.最近,マスメディアなどで下記のような言葉が目立つから,本当に大丈夫?という視点での述べていきます.
絶対なんて状況が変わったりすることを考えると,まずありえない言葉なのにマスメディアを含めてあえて使っているあたり,やばさを感じます.
絶対大丈夫,絶対返すからなんて言って借金しようとしてくる人達の言葉と同じくらい信用できないですね.
絶対大丈夫という人たちはいますが,その借金の返し方まで述べている記事は,筆者はみたことありません.借金やその利子を借金で返しているあたりどこまで信用できるのというのと,お金って無限に借りれるのと問いたいです.
(バブル崩壊の時だって,絶対大丈夫とか抜かしていただろうが!)
この記事とは関係しませんが,絶対って言葉を使ってくる人にはご用心(例 絶対も儲かるから.絶対当選するから.)
(実際,格付け会社によって日本国債の格付けは順調に下げっている.それを第3者だからわかっていないなどといった暴論で片づけてほしくない.第3者からの価値が下がるということは円の価値が下がる可能性を意味している.円の価値が下がれば,外国との取引時に多額の円を支払う必要があり,輸入品の高騰につながる.上記の論者はそこまで考えて大丈夫と言っているのかは疑問.また,公平さにおいては当事者より第3者からの評価の方が信頼できるのは経験からわかる.)
記事の制作は令和3年8月なので,その時の情報をもとにしています.
まず,日本の借金ていくらよ?
聞いて驚くことなかれ.日本の借金(のうち普通国債残高)は令和3年度末には990兆円を上回る見込みです.
(財務省HP https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm)
ちなみに歳入総額(要するに国の税収)は106兆円6097億であるから,累積されてきた日本の借金の方がはるかに大きいことがわかります.
借金時計というサイトがあり,そこでみると国民一人当たりの負債額が表示されており,やばさが実感することができるかと思います.(どこまで正確かは不明)
日本の歳入での国債の割合
日本がいろいろ行うにあたって,使用するための収入を見ていきます.総額は106億円です.消費税や所得税などの税収のほか,国債は43億円で全体の40.9%を占めます.もう少しで収入の半分が借金というわけであります.(国税庁HP
[国の財政] 財政のしくみと役割 | 税の学習コーナー|国税庁
)
それに対しての歳出は,社会保障費等に使っているほか,約24兆円は国債費に充てられています.
ここでなぜ国債費に充ててるのと思う人がいるかもしれませんが,国債は借金であるので,借金の返済と利子の支払いが必要なため,それらへの割り当てが24兆円というわけです.
借金して,過去の借金を返しているイメージです.まさに自電車操業.
借金してまで何に使っているの?
これについては,国税庁のホームページなんかを見た方が良いかと思いますが,ざっくりと列挙します.
- 社会保障関係費 約36兆円(33.6%)
- 公共事業関係費 約6兆円(5.7%)
- 文教及び科学振興費 約5兆円(5.1%)
- 防衛関係費 約5兆円(5.0%)
- 地方交付税交付金等 約16兆円(15.4%)
- その他 約14兆円(12.9%)
その他ってなんだよと思いましたが,オフィシャルのサイトでは説明が見つかりませんでした.きっと,必要なことに使っていると信じています.
さて,社会保障費ですが,その内訳はどうなんでしょう.
- 年金 60.4兆円
- 医療 54.0兆円
- その他 34.4兆円
といった感じで年金に60兆円も使っているわけです.消費税もなく,バブルでさんざん豪遊した世代であり,日本の停滞した経済の元凶,借金大国にした世代に対してです.筆者はそんな世代のためになんでこんなに金を使うんだと思います.借金は現役世代,未来の世代が負うことになるのに.
医療費についての細かい資料はないですが,平日の病院の利用者の割合や入院患者,終末医療の費用なんかの資料があれば,どの世代のためにお金が消えていくのかわかりそうです.
(さんざん豪遊して,貯蓄せず,それでも飽き足らず,俺たちの生活のために年金,医療費をよこせ.そのために借金しろ.返済は知らん.お前たちやその子供が返せということですね.アリとキリギリスの話も改修し,さんざん遊んだキリギリスはありに借金を残してぬくぬくと人生を終えましたに変えるべきかもしれません.(苦笑))
財政破綻の危機に陥るときって?
財政破綻は債務不履行に陥ることであるが,陥るわけではないという人たちもいる.その理由が,国民からの借金であったり,日本はいくらでもお金を刷れるから刷りまくって返せばよいなどである.ここで考えてほしいが,あなたは無限にお金を貸すことができますか?また,お金を無限に刷ると何が起きるか知っていますかである.
上記の論者の問題意識はあくまで,財政破綻するか否かのみであろうが,財政破綻自体は避けられても,お金を無限に刷られたりしたらハイパーインフレが起きるし,日本の投資家だって無限にお金を貸せるわけではない.
なので,財政破綻の危機は回避できるかもしれないが,借金の割を喰うのはその時の世代ということになる.
ゆえに筆者の視点からものを述べると,財政破綻しないかもしれないけど,問題はちゃんと認識できていて,どの世代が苦しむかわかっていますか.その時,何が起きるかも認識していて,それでも借金を増やしていきますかと問いたい.
なんで「破綻はありえない」や「絶対大丈夫」が蔓延るのか.
簡単に言えば,やばいことがなんとなくわかっているけど,それを認識したくない忌避行動であるからです.会社がつぶれるかもしれないときって,一部の人を除き,根拠なく大丈夫だと信じる人たちがいる.大企業だから,老舗だからといったものである.ネームバリューでお金を貸してくれるだろう,持ち直すだろといったものである.そこで思い出してほしい.30年前の大企業や老舗で,消えたものや凋落したものはないだろうか?答えは当然のことながら,消えたり凋落したものはある.でもその時の人々やマスメディアなんかは絶対大丈夫などと甘い考えや意見を述べていた.やばいときほど,人間,絶対などといった言葉を使い,自らを安心させるものである.
最近であれば市町村の財政破綻や財政破綻危機の話題があるが,ご存じだろうか.ぜひ調べてみてほしい.市町村の破綻もほんの数十年前までは思いもかけなかっただおろう.しかし,現実に起きているし,その危機を迎えている.
これらの悪質な絶対大丈夫シリーズに騙されないためには,どうすればよいか.それは情報を鵜呑みにしないこと,賛成,反対の意見に目を通すこと.そして,自分で統計情報などを調べて考えることである.人に騙されないため,SNSなどの情報に踊らされないために必要なことである.
最後に
筆者は,最近の絶対大丈夫や破綻はありえないというマスメディアなどの発言に違和感を感じて,現時点での公開情報などをまとめて,必要そうなところを本記事でも紹介した.そして,財政破綻の可能性や,「破綻はありえない」や「絶対大丈夫」などといった虚言が蔓延る理由,それに騙されないための方法を述べた.
今,目の前で起きている事実を客観視して,今後起きる問題と解決策を虚言を述べる人たちにも考えてほしいと思う.
コロナ対策から見る社会
はじめに
本記事では,コロナ対策からみる日本の政治,社会について私の考えを話していきます.
本記事については下記のような疑問を持った人を対象にしています.
興味があるところだけ読んでいただければ.
コロナウイルス対策って何かあったけ?
外国では水際防止やロックダウンについて取り上げられていました.しかし,日本については強制力を持った対策というのは特にしていません.公共の福祉って習ったかと思いますが,その名のもとに何かを制限するっていう批判が怖いのかできないみたいですね.
まあ,やったことといえば,居酒屋などを狙い撃ちにした酒の提供時間や営業時間の制限などでしょうか?政治家様たち御用達しのお店とかどうだったんだろう.従ったのだろうか?それとも政治家様たちに忖度して,口外せず営業していたのだろうかというような疑問は残ります.
コロナワクチンの普及についてはなかなか遅れていて,やっと若い世代を対象にしだしたイメージですね.市町村からのやつが先日届きました.どんだけ遅れているんだよ.もうオリンピック始まって感染爆発してんじゃねぇかと不満です.
さて,なぜこんなに日本はコロナウイルス対策について何もできなかったのでしょうか?一つ目は,チャレンジを認めないこと.二つ目は強制力を持った施策に対してあおるバカがいるからです.
一つ目については,心当たりのある方も多いと思います.理由はないけど,今の状態から変わることへの不安から反発し,同じ漠然とした不安を持つものが同調し,特にかくチャレンジしない.なんか凋落した大企業をイメージします.国会中継で議論を見ていても建設的な議論はなし.特に野党はひどく感情論とごく一部の極端な例を取り上げて妨害するのみ.一言でいえば税金の無駄であり,ゴミですね.
極端な例に当てはまる人も確かに救わないといけないかもしれないけど,だからと言って多くの人の幸せの維持を遅らせていいわけではない.そんなこともわからない奴らですね.やるのなら,多くの人のためにそれを進めましょう.そこからあふれてしまう人たちをどうやって救済していきましょうかです.
二つ目については,野党であったり,マスメディア等の声が大きな人たちが,目立つために無駄に恐怖感などをあおるからです.彼らの特徴としてはその代案を示さず,ただただ反対するのみ.野党やマスメディアの個人の感想を聞いて,それにあおられる人もどうかと思いますが,もう少し建設的な意見を発信してほしい.
高齢者優遇
コロナウイルス対策もそうですが,日本は高齢者を異様に甘やかす国です.なぜかって,それは選挙権を持つ比率が高いことが理由に挙げられます.
そして,高齢者の幅って結構広いのですよね.高齢者以下の世代って,20代,30代,40代等で要望とか違ったりしますようね.だからそれらの世代向けの施策ってなかなかささらず,その周辺の世代から反感を買う可能性すらある.そうなるとなかなか世代ごとの対策って難しい.それに対し,高齢者向けの社会保障(医療費,年金等)は受けないわけはない.だってあって困るわけはないし,自分たちはぬくぬくと生活できるのですから.
ここで疑問ですが,なぜ,高齢者向けの施策で税金を費やしまくっているのに国債発行して借金を増やしまくるのでしょうか?答えは簡単,今の借金を返すのは将来の世代.すなわち,自分たちが返すものではないからです.だからいくらでも無駄遣いするし,議席を確保するために借金を増やしてでも高齢者を優遇します.高齢者も議員も日本の未来のことなんて考えていない.見ているのは自分たちがいかにぬくぬくするか,既得権益を守るかのみ.本当に素晴らしい国ですね.
なぜ,若者ばかりたたかれるのか?
皆さん,会社などのグループで不満がたまったときにどうしますか?政治なんかでもそうですが,仮想敵を作ってそいつらに憎悪を燃やさせ,ガス抜きします.はい,良い例がいます.お隣の半島と大国様です.それが日本でも行われているだけです.ただ,他国をたたいたりする度胸はないんですよね.残念ながら.日本は家庭でも多いかと思いますが,自己主張が下手で,外では何も言えないくせに,家庭や会社などでは大きな顔をする内弁慶が多いのです.それらの特性から,ある程度知っている層をターゲットにする.でも,自分の年と近い世代を敵に回すと,グループや仕事,家庭などの問題になる.だからある一定の共通の敵にしやすい世代となる若い世代を仮想敵に仕立て上げます.するとどうでしょう.高齢者,定年が見えてきた世代から見ると,いい感じにたたきやすいですよね.文句言えないし,なんとなくマウントも取りやすい.電車なんかでもこの手の人種を見ますが,個人的にはこういうのが見え透いているやつはくそだと思ってみています.あと,総じて無能だとも思っています.くだらないことでいちいちマウントを取ろうとしてくるやつは自分が優れていると思える点がないことの裏返しなので.なので,気にする必要はありませんよ.そうならなければよいだけなので.
あともう一つ.若者がたたかれる理由としては,束縛の少ない自由さ,希望に満ち溢れているところへの嫉妬もあると思います.それなりの世代の視点で考えてみましょう.世間体などで拘束され,もう人生の半分を過ぎ,終わりも見えてきているけど,どうしようもない特別ではない自分を見ると,希望に満ち溢れ,束縛のすくなく自由な行動が好き放題にできるのって,うらやましく見えませんか.
なので,若者をたたく時もその理由を考えると,結局,うらやましいなどの感情が見えると思います.あとは,「自分たちの時には~だった・.」か.今の若者はなどという何も成し遂げてこなかった壊れかけたコマの戯言など無視するに限ります.気にする必要はないので,頑張って思うがままに生きていきましょう.
AIに奪われる仕事,残る仕事
はじめに
定年延長や廃止といわれるなか,先が見えず,年功序列の実質的な廃止,自分でキャリアを考えさせられる時代.
そんな中,AIが進展してきて,今後,どんどん仕事がなくなるといわれ,不安がいっぱいになる.
じゃあ,どんな仕事がなくなっていくのかを考えてみる.
AIができる仕事って何?
今のAIができる仕事は,今までのデータから予測したり,それっぽいものを返す仕事であり,簡単に言ってしまえば,定型的な文書の作成であったり,質問に対する応答である.
逆にできないことといえば,完全に未知のもの.今までのデータが約に立たないものなんかが当てはまる.
例えば,カスタマーサービスなんかはある程度分かり切った質問とテンプレートの回答でするためAIに置き換えやすい仕事であるし(事実チャットボットが簡単な対応はすでにしている.),自動運転の技術もどんどん進んでおり,将来的には配達やタクシーなんかも置き換わっていくことになるだろう.
AIに奪われる仕事
では上記のできる範囲の仕事は,AIが対応可能になればすべて取られてしまうかというと答えはNoである.
なぜかというと,コストの問題があるからである.現状,AIの学習にもそれなりにコストがかかるため,人件費と比較すると,まだ人件費のほうが安いことも多い.なので,直ちに置き換わることはないであろう.
だがしかし,商品というのは大量生産などにより,コスト削減され,価格が下がることは今までの歴史からわかっている.それを踏まえると,AIが学習するのに必要なコスト(ハードウェアそのものの向上と価格の安価等)も下がり,人件費のほうが高くつくようになると,どんどん置き換えられるようになる.
そうなると,AIを導入し,人を削減しようとなる.経営者目線で見れば,人を雇っておくメリットがないので明白.
AIに奪われない仕事
今のAIが奪えない仕事といえば何か.それは簡単に言えば,AIができない仕事とAIに置き換えるメリットのない仕事である.
AIができない仕事といえば,今までのデータが使って導き出すことのできないもの.
AIに置き換えるメリットがないものは,コストが人件費を上回る場合や人のほうが費用対効果の高い場合である.
最後に
AIに奪われる仕事と残る仕事について書いてきた.この記事はいつか書こうかとおもっていたが,先日,出〇館での対応のカスタマーサービスの対応があまりにひどく,日本語が通じない上に,ものが届いていないから返金対応の問い合わせをカスタマーサービスに投げても応答しないことから,早くAIに置き換わればよいのにというちょっとした怒りから書いた.
テンプレートなんかで対応可能な仕事をもししている場合,コスパの問題から人の削減は十分にありうる.
切られる側になり,泣くはめにならないように,漫然と日々惰性的に仕事をするのではなく,自分のキャリアを考え,仕事は選ぶべきであろう.
義務教育,学校に通う価値,学歴について
義務教育や学校について巷で話題になっているので,自分の考えをまとめておく.
このサイトにアクセスしてきた人の参考になれば幸いです.
先に結論を書いておくと,学校は勉学を通じ,素養を伸ばすための場所であり,学歴は大半の人には必要だと思います.その理由を説明していきます.
目次
- そもそも義務教育って何のためにあるの?
- 学校は何をするための場所
- 学校は通う価値があるのか?
- 高校,大学に行く意味
- 学歴は必要,不必要?
1.そもそも義務教育って何のためにあるの?
ぱっと考えるつくこととしては,最低限の素養を身に着けさせるためのものでしょう.
これだけだと漠然としているのでもう少し考えると,最低限の素養とは何かを深く考える.おそらく日本人として最低限備えてほしいものを身に着けてほしいものなのであろう.学校や会社で例えると,オリエンテーションといったところか.一般的な教科から考えると,
- 国語 文章の読解力,作成力 → 契約書の理解,メールなどの伝える能力
- 算数 計算能力 → 買い物のときとか
- 数学 論理的思考 → そのまま,他人を納得させるのに必要
- 理科 身の回りの現象の理解 → 混ぜるな~とか
- 社会 制度などの理解 → 社会保障,法律
- 英語 英語力 → グローバル社会への対応
上記は各教科とその目的,→のあとはこういう場面で約に立ちそうというものを上げました.その他にもあるのはわかってますが,割愛します.
こう見ると,義務教育の期間の各教科って重要だなと思います.
2.学校は何をするための場所
学校は前項で記載したような素養を身に着ける場所といえるでしょう.勉強,勉強といわれると,行きたくなくなりますが,今思えば重要な場所であったと思います.
逆に社会マナーや友達を作りに行く場所っていうのは違うと思います.あくまで,目的としては勉強し,社会人になったときに困らなくするところです.
補足 社会マナーは学校でなくてもセミナーなんかで学べるし,友達も学校でなくても作れるからです.
3.学校は通う価値があるのか
これは難しい問題だと思っています.ホームスクールとかも話題に上がりますが,個人的には通ったほうが良いと思います.
理由としては,特に義務教育期間は社会人として生きていくうえで必要になる最低限の素養の習得が見込めることと,腐ってもプロであるはずの教育者による教育のほうが素人の教育よりは効果が見込めるからです.
どういうことかというと,確かに教員の中には腐ったようなやつもいますが,ほとんどは曲がりなりにも教育方法などについて勉強してきています.そのスキルを素人が独自に身につけられているとは思えず,だったらプロに任せたほうが良いかなと考えます.反論もあるかと思いますが,自身が勉強できることと人に教えることは別物というほうが理解しやすいかと思います。教育者は勉強がそれほどできなくても,少なくとも教えるスキルはあるはず.より高いレベルの教育者を求めるなら私学なんかに通えばよいかと.
逆に,家庭教師などで同等のものが確保できるのなら,学校に通う価値はないかと思います。
4.高校,大学に行く意味
義務教育ではない高校,大学については,専門性を高めていく課程にであると理解しています.どういうことかというと,義務教育(最低限の素養)+α(専門性)の能力を身に着ける場所であるということです.
そして上記に付随して,入学のためにはまず試験をパスし,卒業のためには学校が求める基準を満たす必要があることから,第3者からの評価が手に入ります.
5.学歴は必要,不必要?
よくある学歴要,不要論ですが,本人次第だと考えています.あくまで学歴は資格などと同じ能力を保有していることの証明であると考えているからです.
学歴は前項で書いた通りの第3者からの評価という意味合いもあります.
第3者からの評価で自分の進路に影響がある会社等にに勤めるつもりのある人には必要でしょう.
逆に大学などに通う必要がプラスにならない業界であったりする場合は必要と考えています.
なのでよく言われる学歴フィルタリングや大卒未満の足切りは仕方のないことだと思います。採用する側もかけられる時間は限られているし,よく言う高卒でも地頭が云々は採用の場では見極められないからです.
結論としては,人によって必要,不必要は変わりますが,学歴なくて切られたりしたくなかったら,取っておきましょう.
さいごに
本ブログについては義務教育や学歴について書いてきました.義務教育は社会人として必要な素養の醸成の場であり,高校大学は+αの専門性を身に着ける場所であり,能力を保有していることの証明にもなります.
子供の進路で悩んでいる方や,お子様自身の参考になれば幸いです.
こどもに勉強を強制する親
子供への勉強などの強制がハラスメントとして認知されてきている一方で,いまだにそれらは無自覚な親によって,続けられている.
今回はその原因について書いていこう.
前提
今回取り上げる親の前提としては,子供は中学生以降を想定しているほか
- 子供が望んでいない,楽しめていないことを強要する.逆に言えば,子供も楽しめているならば,問題ないと考えているので,今回の記事には当てはまらない.
- (親本人の認識として)社会的に成功していない (親本人が)現状の自分を取り巻く世界を嫌だと思っている.またはこんなはずではなかったと思っている.
- 自分は本当はもっとできるはずだと思っている.
これらの特徴を有する親である.
あまり長く書いても仕方ないので,一言でいえば自分は(努力などできていれば)もっとすごいはずと思っている親である.
なぜ,習い事を無理強いするのか
そもそも親はなぜ子供に習い事などを強いるのだろうか?
> それは期待しているからである.
では何を期待しているのか.
> 子供に成功させるためである.
ではなぜ成功させたいのか?
> 自分が(努力や経験できていれば)本当は社会的にも成功している,もっと出来る人間なんだと考えるためである.
はっきり言えば,自分は今の状況を努力して変える気はないけど,子供に努力をさせて,あったかもしれない成功した可能性を見たいがゆえに,無理強いして習い事をさせるのである.
最近流行りの異世界転生の無双ものを想像すればよい.
イメージとしては,次のような感じか.
今の自分は認められていないけど,転生先(子供)が成功するれば,本当の自分はすごいんだと思える矮小なプライドを満たすためである.
今の自分が成功していないのは,周りが認めないまたは自身の親や教育が悪かったから成功しなかったと言い訳を添えて.
本当に子供のことを思って?
さて,このようなことを書いていると反論が出てくるであろう.
自分は子供のことを思ってなどと.
しかし,子供の人生は子ども自身のものであって,親の現状の鬱屈を慰めるためのものではない.
子ども自身が悩み,学んで選んだ先にあるものが子供の将来であり,人生である.
ましてや成功していない親の体験をもとに組まれたカリキュラム等,百害あって一利なしである.
成功させたければ,成功者のもとに送り出し,そこで学ばせるべきである.
最後に
本記事は別に勉強するな,習い事をするなというものではないし,怠惰な子供を擁護するものでもない.
あくまで,子供自身が自ら何を学んでいくのかを選ばせようというものである.
例えば,普通教育が必要ない職業に就きたいと言っているならば,あえて無理に頑張る必要はなく,逆に普通教育が必要なものであるならば,勉強すべきである.
努力する,しない,機会を生かす,殺すも子供自身が選べばよいということである.
子供に無理強いすることに時間を費やすくらいならくらいなら,自身が努力し,今の現状を変えていこうというものである.学ぶこと自体は生涯できるし,それにより周りの見る目も変わっていくはずである.
そうしていけば,親の背中を見た子供も主体的どうしたい,どうなりたいというものが芽生えて,必要な努力をするのではないかと考える.