思考ブログ

物事について,ちょと立ち止まって考えてみた.

世代における平等な国家運営,投票のあり方について考えてみる.

はじめに

皆さんは次のような疑問・怒りを持ったことはないだろうか?

  • なぜ,現在の日本はコロナのワクチン接種をはじめ,これほどまでに高齢者を優遇するようになったのか.
  • 未来の世代が背負うことになる借金を増やし続けているくせに,経済成長率等何の成果も出さない無能な政治家たちが蔓延るのだろうか.
  • 国会中継で見ていれば,こいつなんで寝ているんだよ.仕事しろ!

 特に無能な政治家を選ぶのは無能な有権者などと,したり顔でのたまう学者もいる.しかし,これは一見適当なようであり,適切ではない.

 なぜなら,選ばれている政党,政治家が必ずしも各世代から強く支持されているとは限らず,また今のインターネットによる情報検索が容易になっているご時世に,この人知っているからなどといったくだらない理由のもとに,マニュフェストも知らずに投票する比較的若い世代は比較的少なくなってきている(はず)だから.

 本稿では,どうして無能な政治家が選ばれるの.また,どうすれば世代ごとに平等に投票が反映されるのか.最後に政治家を必死にさせるにはという三本について述べる.

無能な政治家が選ばれる理由

 さて,この記事を見られている方は無能な政治家について辟易しているものと推測する.なぜ,彼らは無能に見えるか.それは私を含め,若い世代に合致しない政策を展開し,私たち以下の若い世代に将来にわたり苦労させる負の遺産を増大させているからである.国債云々で借金は返さず借り続ければよいなどといったアホもいるがいるが,信じるかは個人の自由なのでここでは扱わない.

 私たちにとって無能な政治家はどの世代にとっても無能なのだろうか?答えはNoである.ゆえに彼らは選出され,ぬくぬくと生活し,このころ中でも甘い汁をすすっている.興味がある人は国会議員などの給料やボーナスなどをご覧ください。彼らがなぜ必死になって有効な対策などを考えないかわかります.なぜなら,民間で働く我々のように生活にダメージがないから.

 では我々にとって無能な政治家が選出される原因になっている層とはどこか.それは無能な政治家による政策で得する人々である.これについてはご想像にお任せする.

世代ごとの平等な投票

 なぜ,世代ごとの平等を上げたかというと,人数としては確かに高齢者の数は多い.しかし,実際に納税し国を支えているのはどの世代か.それは紛れもなく現役世代であり,将来支えるのはさらに若い世代である.日本の人口において高齢者の割合が多いからといってその意見が強いことはよくない.なぜなら,高齢者を含め,人間はだれでも自分が一番大事な(親や子など例外もある.)ものだからである.結果,高齢者は自分可愛さに将来の世代などのことを考えず,借金を増やし,年金を維持し,五輪を楽しみ,ワクチンは我先にと接種し,したり顔で「若い世代はワクチンも打たず何してんだ.さっさと打てよ.このバイ菌が.」などとのたまうのである.

 少し悪意をもって書いたが,要するに高齢者の世代,若い世代,未来の世代などの意見が均等に反映されていないのが現状である.高齢者のことを少し悪く書いたが(筆者の関係者が言われた発言を取り上げただけだが.),現役世代だって数が多ければ,自分にとって都合がよい政党や政治家に投票するだろう.

 じゃあ,どうすれば各世代の意見が均等に反映されるのだろうか.答えは簡単である.投票権の重さを世代によって変えればよいのである.それは,人口比率の多い世代の1票を軽くして,少ない世代を重くするというものである.そうすると,今のような高齢者優遇一辺倒の政策から,各世代の意見が比較的反映されるようになる.

 こういうことをいうと,年長者は知恵がありなどというであろう.しかし,本当に今の年長者の知恵や経験は約に立っているだろうか.社会の進展は早く,過去の経験を役立てることは難しい.何より,この停滞した日本社会を作り出した高齢者に知恵などあるのかというのは甚だ疑問である.

政治家をやる気にさせる方法

 これは皆さんも経験あるように査定が有効ではないか.ただただ一律で給料がもらえるのと業務態度や成果などにより給料などに影響がある場合やクビがかかっているときは気持ちが違うと思う.(上司によっては無意味だが.)

 こういうのはどうである.政治家一人一人に国民が均等に分担され,政治家が自己申告した成果報告とAIで分析した勤務態度などをもとに評価し,ボーナスや給料の増減を行うというのは.

 ただ,常に政治家の査定をするのは厳しい.そのため,持ち回り制,すなわち裁判員制度のような形で評価していくとよいのではないかと考える.

 政治家も自身が査定される立場になると,選挙の前だけではなく,普段の政治活動にも真剣に活動するのではないかと考えている.(本当はそんなの無くても,真剣に取り組んでほしいところであるが.)