思考ブログ

物事について,ちょと立ち止まって考えてみた.

うやまわれない老人、うやまわない若者

巷では妖精さんと言う言葉をよく話題にあがります。
コロナ騒動からリモートワークが始まり、その結果それぞれの人の業務をこなす能力が顕になったためでしょう。
今まで何となく、それっぽく業務をしていたようにみせていたのが、リモートワークにより顕になり妖精さんという言葉が出てきました。

妖精さんに関する話題はさて置き、今回はタイトルの通りの「敬われない老人、敬わない若者」についてです。


結論から言いますと、敬われない老人は敬わられるだけのものを持っていない(または見えない)が故に敬われないのです。

その理由について記していきます。

敬われる(尊敬される)とは

本文においてはより身近な言葉に置き換えるために「敬われる(うやまわれる)」を「尊敬」と置き換えます。
突然ですが、皆さんはどう言う時に「尊敬」しますか?

尊敬する場面を簡単に表すと、「すごい!」事が出来る人です。
ここで言う「すごい!」は、相手にとって価値を見いだせる上に難しいと感じでいることが出来ることだと言えます。
例えば、「毎朝、10㎞走ってから通勤してます。」という人がいれば、それを継続して行えないけどその価値がわかる人にとってはすごい事です。
もう一つ例を挙げると、「俺は酒に強い。」という人がいたとすると、一部の人は心からは「すごい!」と思っても、大半の人は興味無いし、だから何なのとなると思います。

これらの例から、尊敬されるといのは相手にとって、価値がある又は理解できる難しい事が出来る人であるといえます。
相手にとって価値がないことや簡単な事が出来ても尊敬されないのです。

なぜ,うやまれない老人がいるのか?

さて、本題に戻ると、何故、敬われない老人、敬わない若者がいるのでしょうか?

敬わない老人は他の世代からみて、尊敬に値するだけのものがないか、見えないためです。
ただ、歳を取っただけでは当然尊敬されませんし(歳を取るだけなら誰でも出来ます。)、会社で今までこれだけの事をとしてきたと主張しても、同じ会社に居なければ分かりません。

敬われたかったら、まず、相手に取って尊敬されるに値する人物でなければならないのです。ただの年食っただけ,先に入社しただけでは尊敬されません.
これは、どの世代にも言えることで,老人と言われる世代に限りません。

それが分かっていない上に尊敬を求めるのならば、厄介と言われるお年を召した方々と同じです。

なぜ,老人は尊敬される(敬われる)ことを求めるのか?

単純に考えると,ほんの数十年前までは仕事にしろ,生活にしろ昔ながらの知恵が生きてくる時代でした.田んぼの農作業にしても,職人芸にしてもです.経験から未来が予測できたり,品質が高かったりです.
例を挙げると,山への雲のかかり方から明日の天気を予想したりするのがまさにそうです.この予想ができると明日の農作業に生きてきます.
するとどうでしょう.これらが分かったりする年長者というのはすごい人だと感じませんか?(今だったら天気予報などあるため,ありがたみがないですが.)
このように自然と尊敬されるような状態だったのです.
そういう社会で生きてきたし,そういう世代に育てられたがゆえにそれが普通だと思っているからです.

ところが今は違います.
ITを含む科学技術の進歩により,昔ながらの経験は役立てることは難しくなってきました.
なぜなら,今と昔では生活様式から社会の在り方まで違うのです.

一つの例として,仕事のやり方は今と昔では違います.想像すればわかりますが,パソコンが流通する前と今では求められる能力,経験が全く違います.また,業務の仕方そのものも変わっています.開発を例に挙げると,昔はウォーターフォールが中心でしたが,今はアジャイルなどの迅速な対応ができるものが中心になっています.
このように,仕事のやり方ひとつとっても,今と昔では違うのです.

若者やお年を召した方に言いたいこと

若者に対しては,漠然と生きているだけでは,尊敬していない老人たちと同じようになるし,その時は早く訪れるということです.なぜなら,業務一つをとっても変わり方の速さが昔に比べ,すさまじく早くなってきているからです.
コミュニケーションの取り方を考えてみると,昔は手紙→固定電話→携帯電話→Line等のアプリと変わって来ています.この変化していくスパンはどんどん短くなってきています.
そのため,時代に取り残されやすいとも言えます.
ぼーっとしていたら,すぐに最近のツールを使いこなせない老人です.(笑)

お年を召した方に対しては,今回の記事ではいろいろ書きましたが,これをきっかけに内省してみて,納得いただければ,取り入れてもらえると幸いです.
この世代間のギャップは今後も埋まることはないと考えています.少しでも自信を客観視できるようになれば,振舞い方も変わり,周りの対応も変わってくると思うので.

最後に

長々と書いてきましたが,私自身は若者とお年を召した方の間くらいで,どちらかというと若者よりの年齢です.
同年代の中にすでに老害などと呼ばれているものもいたため,なぜなのかを日頃から考えていました.
今回については,その考えていたものをまとめて執筆しております.
ご参考にしていただければ幸いです.

今回についてはここまでにして、また別の機会に、何故、若者はいつの時代にも叩かれるのかを書きたいと思います。