思考ブログ

物事について,ちょと立ち止まって考えてみた.

勉強のすすめ

はじめに

勉強って重要だなとおもう今日この頃.

「今」知名度のある人(将来的にあるとは言っていない)がある人の中で炎上される方々がいらっしゃる.「痴漢って日本独特の文化だよね.ほかの国にはないから」と言ってみたり,「アンチはうんち」などあえて煽って炎上商法してみたり.はっきり言って,これらの人たちの話ってニュース記事タイトル一覧で目に映るだけで不快なので,除外する機能が付かないかなと思う

なぜ,彼らは炎上するのか?それは勉強していないからというので,説明していきます.

なぜ何度も誤った情報を発信し炎上するのか?

世の中にはよく自分の周りで起きていることをすべてと信じ,世界すべてがそうだと信じる輩がいます.いわゆる自身の経験がすべて.社会人だとよく聞くフレーズで「うちでできないのなら,よその会社に行っても通用しない」,学生だと「勉強は大事!」(学生の方は間違いではないんだけど,意味合いが違う)かな.

他所で通じない!本当に?

他所で通用しないと言っているやつって,何をもとによそでは通用しないというと思いますか?そう言っている人自身の経験です.ただの思い込みに基づくやつですね.「李斯感鼠」ってぜひ調べてほしい.社会には無数の会社があり,仕事がある.だから,そこで咲けないのならよそに移って輝ける場所を探したほうが良いのではと個人的に思っています.

馬鹿の一つ覚えになっていない?

「勉強は大事」自体は間違いではない.けど,勉強って机に座って,教科書開く行為ではないですよ?勉強っていう言葉を辞書で調べればわかるようにあらゆるものについてです.なので,勉強は学生のみが必要なわけではなく,社会人になってからも必要です.勉強は大事というのは簡単だけど,どういう勉強が何の役に立つから必要とか,なぜ必要かを考えさせたりすることのできる人って割合としては少ない.
それはなぜか?簡単に言えば,思考を停止しており自身で体感出来ておらず,言葉にできないからです.なぜという部分を理解していないから,壊れたラジオのように勉強は大事とか自身が言われたことをただ繰り返すのです.

話を戻すと

自分の周りで起きていることを世界全体でという風に感じてしまう人って,結局,学ばなかったがゆえに統計データやら他人の考えやらに触れることなく育ち,そして成長しないままで,発言します.結果,どうなるか.誤りを指摘され,炎上します.学んで成長しなかった場合は再度炎上します.

なので,これらの人のようになりたくなければ勉強しましょう.勉強とは学問だけではありませんよ.そして正解はない.なので,自分がどうなりたいか?どういう人間にはなりたくないかなどを考えながら,何が必要なのかを考え学びましょう.

努力しても,結果はついてこないかもしれません.でも,努力したら,実力はつきます.そしてそれは次の機会にいきます.未来の自分を作るのはあなた自身です.

最後に

勉強っていうのは学問だけではないことを述べ,そしてダメな例として炎上する「今」の時点で有名な人とその背景を紹介しました.

皆様の日々の過ごし方や,将来に少しでも貢献できれば幸いです.

バブルから現在までをネズミの社会に置き換えてみた

はじめに

よく団塊の世代,バブル世代,氷河期世代ゆとり世代等で世代間の話が出ますが,その背景

目次

バブル前

バブル前世代ネズミは,コツコツと狩猟場を変えたり,住処を定期的に整備したりと日々まじめに生活していました.まじめに生活していると,たまたま気候変動で段々と温かくなり,狩猟場でとれるエサが増えてきました.十分なエサと時間が取れることになってきたこともありそれに次第にネズミが増え,ただでさえ取れやすいえさ場で数的にうまく取れるようになったことから,豊かな生活ができるようになってきました.次の世代もこれなら大丈夫だろうと思い,少しずつ世代交代してきました.

バブル期

前の世代から聞いた狩猟場に加え,ちょっとどこかに行けばすぐにエサが見つかる素晴らしい時代です.何かすればすぐにエサが見つかるため,「頑張れば報われる」,「自分たちは努力をしたから成功している」といった思い違いをし,増長していきます.おまけにエサを食べては巣にそのまま放棄し(環境汚染,資源の無駄遣い),挙句の果てにエサを巣に持ち帰らず食べる(経費などの無駄遣い.接待費といってクラブに行ったり)といったなかなかな生活をしていました.増長したネズミたちはどうなるのでしょうか?

氷河期到来

気候変動での一時的な温かさは消え,反動として冷え込む日々が続きます.エサ場であってもなかなかエサが見つからない日々になってきました.しかし,バブル期のネズミたちは遊び惚けていたため,先人たちの知恵も経験もありません.そこで,自分たちのエサ場を守るため,結束してある行動に出ます.そう氷河期に生まれたネズミたちが大人になって入るはずだったエサ場共有のコミュニティに入れなかったのです.エサ場に近づくとバブルネズミたちから門前払いされる氷河期ネズミ.

そして,バブルネズミたちは言うのです.「エサが見つからないのは自己責任」だと.「だって,優秀なネズミはちゃんとエサ場のコミュニティに入れている」ではないかと.

哀れ氷河期ネズミは,バブルネズミの自己保身と増長して努力してこなかったことのツケを払わされることになり,「引きこもり」だ,「怠慢だからコミュニティに入れないんだ」と厄介者と認識されるようになったのでした.

ゆとり・さとり世代

気候変動で寒いままで氷河期ネズミを締め出す以外は相変わらず怠慢なバブルネズミ.当然,エサ場の状況は変わりません.そして忍び寄ってくる不自由さを感じだす老化現象.もう少しで,自力でエサ場に行くことはできなくなってきます.エサ場の状況が好転しない以上,エサ場に行けなくなる自分たちの老後に不安が足り出します.そしてバブルネズミはいうのです.「ゆとり・さとりネズミは無能だ.野心が足りたい.だから社会はよくならない.俺たちが若いころは(以下略)

古くて役に立たない経験談や武勇伝,そして上記のような戯言を聞き流し,ゆとり・さとり世代は情報を共有を強化し,玉石混交な情報の中から過去にあったこと・今の現状を把握します..その結果,無駄な努力はせず,合理的に生きようとします.

しかし,なおも必要に口撃をやめなかったバブルネズミ.バブルネズミに堪忍の尾を切らせたゆとり・さとり世代はうるさいだけで役に立たなかった世代を老害と呼び捨てるようになりました.

Z世代

Z世代はさらに情報に通じるようになりました.バブルネズミたちはまだ存命で,養うには十分なエサが必要です.しかし,彼らに待ち受けているのはバブルネズミが残した腐りかけ,ボロボロになった巣(インフラなど)と枯れ果てたエサ場です.彼らが豊かな生活を望むなら,もはや他所(海外)に移住し,新規開拓しかないのかもしれません.

この先

バブルネズミたちは絶対数の多さをいいことに,下の世代たちに好き勝手します.自分たちの取り分を維持するために,現役世代の負担を増やしたり,負債を増やしまくります.そして,言うのです.

「俺たちが若いころに頑張ったから,俺たちの巣(日本)はでかくなった.お前たちがそれを衰退させた.だからお前たちは責任をもって俺たちの面倒を見ろ.」

「何?仕組みを刷新したい(IT化,etc)?.俺たちが生活しにくくなるだろうが‼」

「負債?大丈夫だ.自分たちの子供に借りているのと同じだから,破綻はしない.将来お前たちが返せばよいからな!ガハハハッ」

さあ,ネズミたちはどうなるのでしょうか...

最後に

厳密には多少のずれはあるでしょうが,おおむね上記の認識です.ネズミに例えて氷河期世代を書いていると,すごい被害者であることに気づきました.

普通に各世代の特徴系のブログなんかを読んでいくと氷河期世代は自己責任と思ってしまったりしますが,背景なんかを加えて,情勢を加味していくと見え方が違ってきますね.公開されている情報を鵜呑みにせず,かみ砕いて理解することは本当に大切だということが一番大きな収穫でした.

あおり運転する人の特徴

世間で問題しされているのに減らないあおり運転.それをする人ってどんな人なのだろうかというのを考察してみた.

1 あおり運転する人の特徴

あおり運転する人の特徴としては下記のような人ではないかな.筆者としては簡単に言えば無能な可哀そうな人だと思っています.

  1. 想像力が欠如している.(行動の結果が予測できない)
  2. 客観視できない人(自分を客観視できないひとは成長できないんだよね.)
  3. 感情がコントロールできない人(仕事でもダメな人の部類ですね.)
  4. 短絡的なひと(一時的な感情なんかで発火する人.浅はかな人)
  5. 周辺が見えていない視野狭窄の人(目の前しか見えていないため,運転においても急ハンドル,急ブレーキが多い)
  6. 評価されていない可哀そうな(笑)人(あおり運転する人は被害者意識もあるのだとか.被害者意識は常日頃から培っているのでしょうw)

いずれの項目も,社会人としては必要な資質を備えていないといえます.ゆえにいわゆる底辺ですね.そういう人があおり運転するのです.実際,ニュースにもなっているあおり運転で逮捕されている人って底辺ですよね?

それぞれを説明していきます.

1 想像力が欠如している

 これは言うまでもなく,自身があおり運転した結果がどうなるかの想像ができないということです.今のご時世,前後にドライブレコーダーがついているなんて少なくない.ということは,被害者側が警察にもっていけば立件されてしまう.なのにやってしまう.これが想像力の欠如です.

 想像力が欠如していて,結果が予測できない人って職場にもいませんか.もれなく使えないですよね.使える人に会ったことがない.

2 客観視できない人

 あおり運転する人は自分が正義と思っていることが多いそうです.ではそもそも正義とは何でしょうか?ここで正義の話をするつもりはありませんが,正義を主張する人は単なる独善者です.簡単に善悪で済むのなら世の中苦労しません.マイルール(笑)が正義の根拠ですかね.あえて,正しい正しくないの話をするのならば,法律で決まっていたりすることを逸脱するのは正しくないかな.

 良い例として,正義のための戦争,これは正しかったことはありますかね?往々にして,領土であったり,資源であったりが目的です.正義を振りかざす人にろくな人はいませんので,ご注意を.正義を振りかざした人に巻き込まれると,戦争であれば生命を,会社などであれば立場を危うくします.あくまで,正しいことをしている(気分になっているだけの)自分に酔っているだけです.巻き込まれてもろくなことはありません.

3 感情がコントロールできない人

 感情のコントロールは大人に必要な資質の一つですね.特に怒りの感情コントロール.最近ではアンガーマネジメントの重要性が理解されてきています.怒りってプラスになるものではないので,アンガーマネジメントは重要だと思っています.

 老害なんかはよくキレるイメージですよね.よくキレる人で仕事ができて,周りとうまくやれている人はいますか?いませんよね.職場の雰囲気を悪くする人です

4 短絡的なひと

 短絡的な人は予測できないのと同じく,複雑な思考というのができません.客観視でもそうですが,多角的な思考ができない人です.複数の視点で見れないため,思考が単調で短絡的になります.

5 周辺が見えていない視野狭窄の人

 周辺が見えていないため,他の車の運転が予測できず,急ブレーキ,急ハンドルをすることになり,その責任を相手に押し付けます.自分は悪くない.悪いのは相手だ予測するのを含めて運転する人に求められる資質なのですが,そんなことお構いなしなのがあおり運転する人の本質です.子供が飛び出したり,お年寄りが点灯してもあおり運転する人ってはねるのだろうな.

6 評価されていない可哀そうな(笑)人

 結構,口悪く書いているのは自覚していますが,被害者意識を持つ人ってどういう人だと思います?私は家庭,職場,地域,その他で評価されていないと思っている人だと思います.なぜって,評価されていれば持つ必要がないからです.

 「俺はもっと~なのに,~が評価してくれない」.

 上記は所謂被害者意識からくるものでありますが,これが積み重なると,常に被害者意識を持つ人になると思いませんか.「俺が評価されないのは,~のせいだ.」みたいな感じですね.

 なので,何かちょっとしたことでも,自分の被害者意識に結び付けて,あおり運転したりするのですよ.

2 なぜやるのか?

 あおり運転する人の特徴でも記載しましたが,そういう人だからするのです.それでも運転以外の場面では人の目があるから出来ない.それが車に乗ると,あら不思議,あたかも個室のように感じ,何かしても見るからないかのような錯覚をします.いわゆる匿名性ですね.

 そして気が大きくなった結果,何かに異常に反応し,過剰行動を起こし,あおり運転します.どうしようもない人ですね.

 車もナンバーがあるし,ドライブレコーダーもある世の中,完全な匿名なんてありえないのに,それでもやってしまう.

3 あおり運転にあった場合の対応

 これは様々な人が紹介していますが,警察に届けるの一択でよいと思います.

 あおり運転する人には,罰を持って報いる以外,反省させることはできません.彼らは身勝手な正義感で突っ走っているので,罰を負わせなければ誤った正義感のままやり続けます.(もっとも,罰せられても上記のように無能であり,根本的な治療は難しいから治るかは定かではありませんが.)

 あおり運転する人を通報すれば,少なくとも点数がひかれ,繰り返していくうちに,免停になればもうあおり運転する人は,公には運転できなくなり,結果として,車両を運転するときの無駄なリスクを負う必要がなくなります.

 それとよく言われますが,もし,あおり運転する人がおりてきていちゃもんつけてきても,窓やドアは開けないでください.危険です.

 考えてみてください.言葉で意思疎通のできない何故か怒っている日本猿が車の外にいて,そこに降りて行って無事で済みますか?

4 まとめ

 本記事においては,あおり運転する人の特徴やその対応について記載しました.

 君子危うきに近寄らず.されど,ばんばん通報する等,やるべきことはやって,社会を住みやすくしていきましょう.

 

楽しめることって重要

今日はいつもと変えて,本当にただの日記として書いてみる.

年を取ってきたせいか,楽しめることって減ってきた気がする.

 

なんでだろうと思うと,まず学生と違って損得なしでいつでも遊べる友達がいるわけでもないし,仕事が忙しければ,趣味などに割り当てられる時間も減るうえに,年とともに体力の回復が厳しくなってきて,休日にさあやるぞとはならない.

なんだかんだ体を動かすと,健康にも良いし,ストレス解消にもなるけど,ちょっと億劫.

 

そこで,なんとなくメールを整理していると,プログラミングコンテストが始まっていることを発見.久々に参加(ラスト20分...もっと早くに気づけば)

最初の数問しか解けずタイムアップ.

 

でも心なしか,気分はすっきり!

時間に追い込まれながらという仕事に似た状況ではあったものの,問にたいして考え,答えを出すという,自分の好きなことの一つ考えることが入っていたからなのかな.

普段は雑念なんかも入るけど,時間に追い込まれている+そこそも難しいことという組み合わせのおかげか集中して取り組めたおかげかとも思っている.

 

あっという間だったけど,これが自分の好きなこと,楽しめることの一つ.

別に体力を使わずとも,楽しめることがあることっているのを再確認したのでした.

 

気力も回復したし,明日は人と接触しない自然豊かなところを散策してみようかな.

転売屋は悪か,否か

はじめに

この記事は転売屋が悪か否かについて述べた記事です.

結論から言いますと,転売屋はなので,転売屋の方々にとっては不快な記事になりますのでご承知ください。

転売屋の存在意義

世の中の製品やサービスというのは誰か会社などの問題を解決するためにあります.

そのため,社会的に存在意義があり,成立します

逆に社会的に悪といわれるもの,所謂,悪徳商法等はただただその製品やサービスを売る側にとってしかメリットが非常に大きく,関係者(消費者,製造者,はたまた消費生活センターなど)への迷惑を考慮すると存在といえます.

では転売屋の存在意義があるのかについて考えていきます.

転売屋は誰の,どこの問題を解決する?

これはすなわちお金を相場以上に出してでも買いたい人が手に入れたいという問題を解決するといえます.そういう意味では全くの害悪でもありません.なぜなら,お金さえ出せば,手に入るという点で,そのような人のニーズを満たすからです.

転売屋の社会的役割って?

転売屋自体はよく商社を例に出しますが,さて,彼らは同じ社会的役割を果たしているでしょうか?

筆者はそうは思いません.まず商社は,本来なかった購入ルートを作ってくれます.

対して転売屋はどうでしょうか?また,ゲーム機を例に考えてみましょう.

お店でしか買えないものをわざわざ行かずともインタネットで買えるようにしてくれるならメリットはあるでしょう.

しかし現実はどうでしょうか?インタネットサイトで買えるものをあえて買えなくして,高額で転売しているだけです.

これに社会的役割として,商社とやっていることは同じと主張されても,違うだろうとしか思いません

関係者への迷惑度,貢献度

ゲーム機のPS5,switchやアイドルのチケット,はたまた生活品等様々な分野で転売は行われています.

今回はわかりやすい分野であるPS5などのゲーム業界を例に考えてみましょう.

製造者側からのメリット,デメリット
  • とりあえず,作った分は売れていますが,転売屋がいなくても同じく完売するのでここでのメリット,デメリットはなし.
  • 転売屋が在庫を抱えるため,その分,消費者が増えず,ゲームソフトや関係機器(コントローラ等)が売れない. →デメリット
  • 消費者が増えないことにより,Twitter等への面白い等といった売り上げにとってプラスとなる話題を投稿してくれる人が増えない. →デメリット
  • 転売屋に相場以上の価格で売られていることによるマイナスイメージの定着→デメリット
  • 消費者に転売屋が抱えている分だけ,消費者に製品がいきわたらず,その期間が長引けば,興味を失われ,製造者側からみると販売の機会の損失につながる.→デメリット

ちなみにアイドルなどのチケットなどにおいては上記のほかに下記のデメリットも存在します.

  • 相場以上の価格で購入することになるので,消費者がアイドルグッズなどに回せるお金が減り,開催者などへの入るお金が減る.

いや~,見事にデメリット尽くしですね.製造者側から見たら,転売屋はイナゴ寄生虫のようなもんですね.

流通から見たメリット,デメリット

配送業者の視点で考えると,本来,転売屋が抱えている在庫というのは,販売者から消費者へ届けられています.それが,転売屋を挟むことにより,販売者から転売屋,転売屋から消費者といったホップが増えます.

社会全体の効率から見て,非効率になります.流通が無限にあるのならともかく,限られた労力を圧迫するという観点から,デメリットでしょう.

特にコロナウイルスのせいで,在宅化して,個人宅への配送が増えています.なので時間指定しても遅れてくるレベルなのに,それにより一層の拍車を変える転売屋.まさに社会の悪です.

結論

転売屋は社会的にデメリットの方がはるかに大きく,彼らはごく一部の消費者のニーズを満たすだけであり,自分たちの利益のためだけに製造者やほかの関係者にただただ迷惑,損失を与えているだけの存在であることがわかりました.

まあ,転売屋自体がああだこうだいわれるなか,自己弁護したくなる気持ちはわかりますが,見苦しいので転売屋の皆さんはおとなしく受け入れて,お前ら豚どもはおとなしく俺たちから買っておけばよいのだとでもふんぞり返っていたらいたらどうでしょうか?(内心もそう思っているでしょう.)

財政破綻に関する記事について考えてみる.

はじめに

財政破綻しないとうたう記事って本当に最近よく見ます.もうこれでもかというくらい.

国の借金による世代格差はないとか,お金は無限に借り続けられるとか好き勝手言っている記事もあります.

さて,「本当にそうなのか」,「不都合な事実を隠したり,だまそうとしていないか」考えていきます.

 そもそもなんで財政破綻しないとかっていう記事を出すの?

全く安全で問題ないならば,「財政破綻しない」についての記事なんて出さなくてもよいと思いませんか?

財政破綻する,しないの記事を書く側にとってのメリットって何ですかね.

  1. 営利目的(いわゆるお金をもらってかく場合.記事を書いてもらうことによって恩恵を受ける人が依頼する.)
  2. 営利目的その2(不安をあおったりする等の見出しを付けて,記事を買ってもらうため.ゴシップ誌が典型的なこれですね.新聞なんかもある意味そうか.)
  3. その他(ブログなんかは書きたいから書くとかではないですかね.)

近年はYouTuberなどの知名度のためなんかもあったりするので,一概には言えませんがざっとこんな感じですかね.

さて,財政破綻しない旨の記事を書いてあるところを会社を見ると(勿論すべてではないですよ!),執筆料をもらうって書くところがみられます.この執筆料を頂いて書いてもらう場合は次のような感じです.

  1. こんな感じの記事を書いてよとオーダーを出し,草案を作ってもらったり.
  2. 文字数などにより執筆料が決定し,依頼者が支払う

といった感じです.

さて,財政破綻しないといった内容の記事を書いてもらって得するのは誰なんでしょうね?自己責任論が強くなってきた現代の論調も併せて気になる.

破綻はしないけど,円の暴落等を予期したりできず,生活が苦しくなるのは予想できたでしょう.自己責任です」となったりするのかしら.

じゃ,財政破綻すると思っているの?

結論を言えば,Noです.私自身,財政破綻はしないと考えています.ただ,これには裏があって,年金と同じだと思っています.

年金も破綻はしないと明言されています.じゃあ,支払額について明言されていますか?私は見たことありません.併せてiDeCoなんかも国が出していますよね?

これって,なんでだと思います?

  • 「今払っている年金に対して,お前たちが受給するときには雀の涙だ.(数万円とか?)」
  • iDeCoとか用意してやったから,自分たちで老後は備えろ.」
  • 「雀の涙でも年金はやっただろう.破綻していないから嘘はいっていない.ノープロブレム.」
  • 「何?払った額に見合わない?知らん.お前たちやその上の世代が問題を先送りにしたツケだ.」
  • 老後の金が足りない?自己責任

ということかと思っています.

これと同様に,財政破綻はしないにしてもその時に,ひどい目にあうだろうなと思っています.

国は借金を無限にできるの?

前提からこの辺って間違っていると思うのですよね.

お金って基本的に有限だと思うのですよ.ハイパーインフレ起こす覚悟でお金を刷りまくらない限り.そんな中から,投資家にお金を借り続ければいいっている論を言っている人ってどうなのでしょう.投資家が投資するメリットって何ですか?ためらうことがあるとしたら何ですかというところの考察がまるまるないのですよね.そういう人たちの記事って.

投資家がいつもいつでも買い支えてくれると思っているのかな.

その辺の前提がすっぽり抜け落ちているので,やべぇ人が書いているなとしか思いません.だから,経済評論家や学者さんのいうことって現実離れしていると思っています.

例えば,資金繰りにやばくなったら,

  • お金刷りまくる場合→ハイパーインフレ
  • 米国債等を売りまくる→国際問題などに発展
  • ドル等を売りまくる→変えなくなる.円の価値が暴落

その辺考えているのか.あえてそこに触れていないのか.まあ,真相はその手の記事を書いている人のみぞ知る.

世代格差ってないの?

もうこの手の記事もうんざりです.

大体の主張はこうです.

  • 日本には約2000兆円の個人の金融資産がある.
  • これは日本の借金約1200兆円を超える.
  • お前たち若い世代は個人の金融資産を相続で引き継げるから問題ないだろう.

ということです.

さて,表面上は正しいですね.表面上は....

個人の金融資産がそれだけあるのならば,1世帯あたりはいくらなのか.平均としては1139万円(前世代)と期待できそうに見えますね.

60代に絞れば1635万円,70代以上ならば1314万円と十分にありそうです.

なんだ大丈夫じゃないか.不安にさせやがってと思った方は,恵まれた家庭若しくは騙されやすい方なのでご注意を」

これはあくまで,平均の話です.中央値の話をする前に例を出しましょう.

Aさんは100円,Bさんは200円,Cさんは300円,Dさんは400円,Eさんが19000円のお金を持っています.4人持つお金の平均はいくらでしょうか?答えは4000円です.(あれれ,平均以上が一人しかいない.これが平均の怖いところです.)

これに対して中央値とは何か.5人いれば5人の中の持っている金額のうちちょうど真ん中に位置する人の金額,すなわちCさんの300円が中央値になります.

じゃあ,中央値で金融資産を見ていきます.

  • 全世代 419万円
  • 60代 650万円
  • 70代以上 460万円

これが統計マジックを外した後です.この金を引き継がせてやるから,借金よろしくなというわけです.

今まで借金は高齢者の全員のために増やし続けてきた.でも,引き継がせる金は対してないけど,(一部の富裕層はしっかり持っているけど.)

借金の返済は平等にのしかかるからよろしく!というわけです.

正確には累進課税相続税もあるためちょっと異なりますが,おおむねそんな感じです.

なので世代格差はないという手合いの記事は信じられないというのが私の感想です.

最後に

本ブログにおいては,最近よく見る「財政破綻しないとか」「世代間格差は存在しない」とかいう記事について考えてみました.

残念ながら自分の身を守るのは自分なので,このブログが皆さんの身の振り方などに役立てば幸いです.

 

学生時代の進路の選び方,社会人としてのキャリアパスについて考えてみる.

はじめに

 学生時代,進路について親や先生からいろいろ言われ,ろくに進路も決めさせてもらえず,いわれるがままに高校に進み,大学進学時に初めて,親元を離れ,独立したくて大学を遠くにした.その際,お金は出せないといわれたので,お金がかからない大学を選んだのは懐かしい.

 社会人になってからも,自分のキャリアパスで悩みはするものの,自分で考え,選択する癖が大学進学時からついていたため,今の仕事やこれまでの仕事についても楽しくできてきている.

 この記事は,そんな経験をもとに,進路で迷っている人やキャリアパスで迷っている人の助けになればと思って書きます.

 

将来どうなりたい?ってよく言うけど…

 こういわれると良くわからないというのが常々思っていたことだ.将来どうなりたいなんて言葉は幅広くて,想像も難しい.そして,それが答えられないことについて,自分はダメなやつなのかと思うこともあった.

 なら,こう問われたら少し答えやすいだろうか?

 「どんなことをする時が嬉しい?楽しい?」

これに対しては答えやすいのではないか.

  • 人に何かして喜ばれるのが嬉しい
  • 何かを作り上げるのが好き
  • 一人で想像を膨らませるのが好き
  • 人との勝負に勝つのが嬉しい.
  • 難しい問題を解くのが好き.

上記は一例であるが,十人十色で答えは様々だし,自分に一度問いかけてもらいたい.

 そのうえで,自分の得意なことを加味しつつ,学生であればどんな職業に就けば好きや楽しいが溢れていそうか,そしてそこに至るための逆算をして,進路を決めていくと良いと思う.

キャリアアップ,チェンジの勧め

 社会人であれば,自分の楽しめること,嬉しいと感じれることが多いキャリアをどんどん選び,出来ることを増やしていき引き出しを増やしていくのが良いと思う.この理由として,一つだけの仕事をやり続けていくとほかの人との差がつかず,今はよくてもやがて若くて自分より優れた人が入ってきたときに嫉妬する羽目になるというのが一つ.そして,一つの仕事をし続けることのデメリットは思考が低次元になってしまうことである.いいかえると,思考するときの価値観の物差しが一つであるため単純になるのだ.これに対し,キャリアアップ,チェンジを行っている人はそれまでの経験から複数の価値観の物差しがある.(当然,例外もいるが.)

 例を挙げてみよう.スマホを選ぶときに,流行りや見た目,価格,画面の大きさなどで決めているだろう.もし,ここに販促の経験があれば,スペックであったり,使いやすさ,防水,バッテリーの容量等様々な視点で検討することができる.また,経験から安くなる時期も知っていたりで購入時期の決定にも有利に進められる.

 上記の例ではお客様という単一の物差しから,販促経験という視点も併せ持つ人の違いである.これは仕事においても同様で,複数の視点で考えられる人というのは職場でも重宝されている(はず).

 なぜなら,社内調整だって相手の業務要領を知っていれば,それを踏まえて調整するからスムーズにできるし,製品開発にしてもいろいろな価値観をしっていれば多角的評価ができたりで,想定外の項目も減る.何より,相手の業種(フィールド)の言葉などを知っていれば,それらの人と話すときにコミュニケーションがとれ,円滑に進められる.

なぜキャリアアップやチェンジは必要?

 ここまでくるとなんだそんなことかと思って,そういうの望んでいないんでという人がいるかと思う.そういう人には考えてみてほしいことがある.アメリカなどで採用されているジョブ型雇用,これが日本にも導入されていけば,今以上に給料は上がらない.そんなバカなと思うかもしれないが,同一の業務では同一の給料なのである.

 お前のいるキャリアアップやチェンジも同じだろうという人もいるかもしれないが,そんなことはないと思っている.できることを増やしていくということは,採用される会社やポストが増えることと同じである.そして転職するときにおいても自分はこれだけの経験をしてきたといえる.それに対し,一つの仕事をしてきただけの人はただただ言われたことをやってきた人に他ならない.この違いは大きいものである.

 キャリアパスにおけるキャリアアップやチェンジは難しく考えていく必要はない.自分のしたいこと,楽しめそうなことを選んでいけば,おのずと自分だけのキャリアパスが歩め,自分だけがもつ唯一無二の人材に慣れているはずである.

なんで仕事についてそんなに書くの?すきを仕事にするとつらくない?

そんな風に思った人もいるだろう.私の意見はこうだ.今のところ週5日働いており, 平日の8時間(通勤時間は別.最近してないけど.)の時間を費やすのだ.寝る時間などを除くとなかなかの時間を費やしている.そのかなりの割合を費やすにもかかわらず,仕事がつまらないと地獄だと思う.実際,通勤していると暗い顔や死んだ魚の目をしている人たちもいる.

 人生のそこそこの時間を仕事に費やす以上,楽しいほうがお得であるというのが私の持論だ.余暇の時間を趣味で楽しめればなおよし.それにキラキラしている人って,仕事が楽しい人なんじゃないかな.

最後に

 ここまで私が経験してきたことなどを交えて,進路やキャリアパスについての考えを述べてきた.また機会があればそれぞれに特化したものを書きたいと思う.